“正しい”なら何をやってもいいの?というお話。
クルーズ船内にコロナウイルス罹患者が出て、横浜港内に入った一連の件。
私が思っていること、結論から申し上げると、
- クルーズ船に対する国の対応が、あれで最適なのだとは思っていない。
- ただ私みたいな外野の素人が、それを非難するのは少々脳天気過ぎる。
- そしてI医師を「よくやってくれた」と賛同する気には到底なれない。
- むしろ逆、彼の振る舞いには何とも言えぬ違和感を強く感じてしまう。
書きたいことはこの4つ。
それ以外のことを指摘されても、対応いたしかねます。
聞くところによると、I医師は世界トップレベルの専門家なのだそうで。
(イニシャルにしときます。数ヶ月後にこの記事を読み直したら「誰だっけこの人」という風になっているでしょうから。こんな騒ぎでずっと名前が残るのもひどい話ですし)
その専門家が見た船内の状況なのだから、指摘は全面的に正しいのでしょう。
クルーズ船内の処理には誤りが多々あるのでしょう。
しかしだからといって、YouTubeで(ご丁寧に英語版まで作って)全世界に発信して扱き下ろすのはやってもいいの?
船内の処理に当たっている人達は、そこまで断罪されなくてはならないような悪の権化なの?
船自体は外国籍、運営も別の国。
日本の船ではないのよね。
外国籍の人も多数いるわけで。
全部で3700人だっけ?すごい人数だな。
多分あれこれ文句を言ってごねる乗客乗員も少なくなかったんじゃない?
強権発動ができない状況で、あれこれとやっていたわけでしょ?
まあ確かに結果として罹患者は増えましたよ。
“最適”とはとても言えないでしょうよ。
でも適当にやってたわけではなくて、手持ちのカードをあれこれ遣り繰りしていたわけじゃない?
3700人も相手に。
だから私はそこをあまり叩く気になれない。
そこを批評するのって、なんだか“事後諸葛亮”臭くてヤだ。
「俺ならこうするのに」とかなんとか書くの?
そこへI医師ですか。
2時間ほどで船を降ろされたとかなんとかで、いきなりYouTubeで告発動画を全世界に発信した。
いきなりYouTubeかい?
それも英語版まで出して。
ネットでは称賛する声が多数上がっていたけど、私はなんだかすごくもにょもにょするものを感じていました。
あれですよ。
「性差別を助長する」とかなんとかで、イラストに対して描き直しや廃止を要求してくる方々。
他にも人種差別だのヘイトスピーチだので何でもかんでも噛みついてくる御仁。
そういう窮屈さに通底するものを感じたのです。
“差別はいけません” 確かにそうでしょう。
正しいですよ。
でもその“正しさ”を振りかざして、あらゆるものを自分の望み通りに修正させていこうってな、少々やり過ぎではないですか?
反対しようものなら「差別主義者」のレッテルを貼り付けて、社会的地位が崩壊するレベルにまで叩きのめす。
結局“正しさ”を口実に、自分の望みを押し付けて叶えているに過ぎません。
I医師もそうでしょ?
自分の主張が船内で通らなかった。“正しい”主張なのに。
だからYouTubeで発信し、自分の主張が通るように押し付けていった。
やっていることは大差無いように感じるのです。